東急スクエア ガーデンサイト

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  • 東急東横・目黒線 田園調布駅上

HISTORY / 田園調布の歴史

田園調布の歴史

田園調布のまちは大正12年の田園都市株式会社の土地分譲に始まりました。開発するに当たり、渋沢秀雄(田園都市株式会社の設立者であり渋沢栄一の子)はアメリカのSt.フランシスウッドやイギリスのレッチウォースに視察に行き、その開発理念やアーバンデザインを学びそれを田園調布の街づくりのエッセンスとして取り入れました。
当時郊外住宅は未だ未発達の状況であった為、田園調布の充実した基盤整備や豊かな自然、洗練されたセンスは非常に斬新なものであったと言えます。住宅地販売が開始された当時日本においては産業構造の変革が起こり、新しい中流階層(ホワイトカラー)が表れた頃でした。その新中間層は従来型の職住近接の必然性はなく、環境の良い郊外に家を求めはじめました。田園調布の開発はちょうど彼らの出現の時期と思想に合ったということです。彼らのライフスタイルは時代時代で流行の最先端を担ってきたのでした。
田園調布には、新中間層の上層部の人や軍人、大学教授、医師といった人々や理念を抱いた開発者自らが住み着き、志の高いコミュニティーが形成されました。街の運営は自治会である「田園調布会」によって自らが運営し、開発当初の理念を受け継いだ紳士協定である『田園調布憲章』のもとに街が守られ続けてきました。
開発当初の「土地譲渡契約書」には建築に対する条件が付されておりました。それには、建蔽率やセットバックの概念などが記されており、その紳士協定によって街の環境が守られてきたとも言えます。
明治~大正
明治22年 5月 町村合併により荏原郡調布村となる
大正7年 9月 田園都市(株)設立
大正11年 6月
田園都市(株)土地分譲開始
9月 目黒蒲田電鉄(株)設立
大正12年 3月 目黒蒲田電鉄(株)の目黒線、目黒-丸子間(現:沼部)で開通
調布駅開業
大正13年 12月 住民協議会発足
大正14年 8月 田園調布となる(地名としての「田園調布」の初出)
12月 多摩川園開園
大正15年 1月 目蒲線調布駅を田園調布駅と改称
5月 田園調布会創立
昭和
昭和2年 8月 東京横浜電鉄(株)の渋谷線、渋谷-丸子多摩川(現:多摩川)が開通、渋谷~神奈川間を直通とし東横線と命名
昭和3年 4月 東調布町と改称
5月 田園都市(株) 目黒蒲田電鉄(株)と合併
昭和 7年 5月 田園調布会、社団法人化
10月 「田園調布」が町名として公認される
昭和11年 10月 田園コロシアム開場
昭和35年 1月 田園調布駅前に「田園調布の由来」碑建立
昭和54年 6月 多摩川園閉園
昭和57年 5月 「田園調布憲章」制定
平成
平成元年 11月 田園コロシアム閉鎖
平成2年 8月 田園調布駅舎取り壊しに伴う「惜別の会」開催
平成12年 1月 田園調布駅舎復元
4月 「東急スクエア ガーデンサイト(本館)」開業
平成13年 12月 「東急スクエア ガーデンサイト(アネックス)」開業
平成15年 6月 「東急スクエア ガーデンサイト(南館)」開業
平成16年 11月 「東急スクエア ガーデンサイト(北館)」開業

周辺環境

恵まれた自然

街の背後には雄大に流れる多摩川や静かな宝来公園、多摩川台公園と緑豊かな自然を抱えています。又、開発当時から植樹してある街路樹の銀杏や、住民の宅地内の木々により一層多くの緑に囲まれた地域と言えます。

アーバン・デザイン

田園調布の街の特徴はなんと言っても放射線及び同心円状の道路網と言えましょう。その中心の位置に大正様式の駅舎と噴水を抱えたロータリーを配した計画は画期的なプランニングであったと言えます。又、住居系と商業系を分けて施設を配置させたり、野球場(後に田園コロシアム)を設けたりとその表現は今日でも陳腐さを感じさせないものです。

FLOOR GUIDE / フロアガイド

OPENING HOUR / 営業時間

  • 10:00-21:00

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